バイオグラフィー

1995年夏(G)キラー小林
(Ba)矢野間喜幸
(Dr)前田 太
商大軽音楽部の夏合宿でのライヴコンパの為に初台 健はYAMATOなる企画バンドを結成。実質上これが120%の前身バンドということになる。バンド名からわかると思うがマッチのバックバンド名から取っている。ここからも健がすでにアイドル願望があることが伺える。この時偶然、健のステージを見ていたつっくんとよっくんは、「あれは本当にかっこよかった!」と後に語っている。
1996年初頭(G)つっくん
(Ba)武井孝之
(Key)早坂 真
(Dr)祖母井准
初台 健のプロジェクトのためのバックバンド120%は結成されるが、まだ初台 健名義ではなかった。当時のメンバーによっくんはいないが、既に候補に挙がっていたらしい。3月の追いだしコンパに向けてリハーサルを重ねる。しかし1回のライヴの後、音楽性の違いから武井貴之と祖母井准は脱退。
1996年夏(G)つっくん
(Ba)よっくん
(Key)早坂 真
(Dr)佐藤徹司
初台 健が動き出すために新たに120%が組まれる。この時からよっくんがベース、佐藤徹司がドラムとして参加。第2期120%のスタートである。軽音楽研究部主催の稲毛野外音楽堂でのライヴでは、「1985 SUMMER TOUR’96」のファイナルとして参加し、夏をイメージした衣装、曲目で注目を浴びる。
1996年秋(G)つっくん
(Ba)よっくん
(Key)早坂 真
(Dr)畦上雄一郎
 夏の野外ライヴの勢いのまま千葉商科大学瑞穂祭に出る。しかしこの時、佐藤徹司が健康上の理由からドラムを叩けなくなり後任として畦上雄一郎が参加。第3期120%の誕生である。このLIVEではジャニーズ系の曲を演奏しコスチュームの奇抜さなども手助けし、立ち見が出るほどの観客動員数を記録する。また急遽参加したにもかかわらず畦上雄一郎のドラミングは絶賛された。またこの時偶然にもローディをやっていたのが次期ドラマーのすっくんなのである。そしてLIVEの最後に初台 健が120%を卒業することを宣言。この瞬間まで120%のメンバーにも知らされていなかった。そしてこれが120%としての最後のLIVEになったかのように思われた。
1997年夏(G)つっくん
(Ba)よっくん
(Key)早坂 真
(Dr)すっくん
 軽音楽研究部毎年恒例の稲毛野外音楽堂でのライヴに遊びに来た初台 健が、来年のこのライヴに出ることを決意し、120%のメンバーとコンタクトを開始。分裂したメンバーを集め、何回ものミーティングを重ねた結果、新メンバーとしてドラムにすっくんを迎える。ここでやっと現ラインナップが揃うわけである。
1998年初夏(G)つっくん
(Ba)よっくん
(Dr)すっくん
(k-pgm)よっくん
 稲毛のライヴに向け、着々とリハーサルを重ねるが、キーボードの早坂真とのコンタクトが困難となる。徐々に本番も近づき、焦りの色を隠せないメンバー。そして何回ものミーティングを重ねた結果、早坂真を実質上の解雇処分として、今回の稲毛の野外ライヴではキーボードパートを打ち込みでやることに決定。同時によっくんがキーボードプログラムを担当する事になる。
1998年秋 この頃からライヴステージにTOBIKIRIジュニアが登場するようになり、ステージ構成も凝ったものになっていく。
1999年初頭 初のレコーディング。恋は詰め将棋 じれったいHold You Tight をレコーディング。
2000年初頭 2度目のレコーディング。ロールプレイングLOVE ため息cm をレコーディング。
2000年秋 千葉商科大学軽音楽部のイベントで偶然再会した初台健と120%のメンバーがシークレットライヴを敢行! アンコールを含め4曲を披露する。
2000年冬 よっくんの別営業でドラムが見つからなかった為、急遽すっくんにオファーを取る。これにより数年ぶりによっくん(G)&すっくん(Dr)のコンビネーションが復活することとなる。
2002年夏 よっくんの別営業ですっくんにオファーを取る。2年ぶりによっくん(G)&すっくん(Dr)のコンビネーションが復活しロック調な楽曲をコピー。水を得た魚の如くアグレッシヴなプレイを披露し大絶賛される。
2002年冬 よっくんプロデュース、アレンジ業へと転向していく。すっくん独自のバンドにて精力的に活躍中。つっくん火と共に生きる。